本のはなし(仮題)
所有する本の体積が、本棚の収容可能体積を大幅に超過している。
有り体に言えば、本が本棚に入りきらない。
積読
最近、考えなしに(金銭的な考えも収納スペース的な考えも私にはなかった)本を買いすぎていたため、本棚に本が入らなくなってしまった。
仕方がないので、できる限りの収納をしたうえで、直近読もうと思っている本たちを机の上に平積みしている。いわゆる「積読」だ。
どう見ても10冊以上あるし、めちゃくちゃ難しくて分厚い専門書も紛れ込んでいて、これを書いている視界の端に映っているが、それだけで少しドキドキする。
積読を肯定する某コロの記事は、自分の心の中でかなりのヒットだった。
積読している本を紹介しあう記事であったが、終始、積読というものを否定的にとらえない姿勢が、心地よかったことを覚えている。
積んでしまってもいい。この考えは私の中に小さなそして確かな革命を起こした。
この記事を読んで以来、自分の中で、本を買うハードルが下がった感覚があった。
そして、積まれている本たちを見ても、罪悪感を感じないようになった。
こうして私が積読をすることによって、著者さんの活動や出版業界の存続に繋がっているという、誇りすらある。
よくも悪くも、これが本を大量に買ってしまうことにつながっていくわけだが。
本棚
本棚を見ればその人がわかる、なんて使い古された言葉だが、本棚を他人に見せることは、自分の人間性を並べて晒すような感覚で、幾分気おくれしてしまう。
でも同時に、自分を知ってほしい、俺の本棚を見てくれ、という気持ちもあるものだから、人間というのは一筋縄ではいかない。
今回は、そんな臆病な自尊心と尊大な羞恥心(?)を慰めるべく、本棚の紹介をしていきたい。自分が紹介しようと思う一部だけを紹介するという、なんとも恣意的な紹介ではあるのだが、まあ、俺の日記だし。
飲食関連
一般的な人の本棚と異なる部分として、まず、飲食に関連する本が半分ほどの体積を占めていることがあげられるだろう。
といっても、前述した、本棚というものがもつ神秘性のため、私は他人の本棚をそれほど多く見てきたわけではないし、一般的な本棚という確かなイメージを持っているわけではないのだが、そんなことを言い出すと話が進まない。私が抱く一般的なイメージというものを前提に進めさせていただく。
占める体積が大きいのは、料理関連の本に大型本が多いからでもあるが、にしたって書いすぎってもんだ。飲食業でもないくせに。
これらを大まかに分類するならば、料理・製菓・飲料となる。
あまり褒められた性格ではないが、私は幾分、西洋にしっぽをふるところがあり、これらの本も西洋に寄っている。
料理ではフランス料理やイタリア料理、製菓もフランス菓子、飲料はワインにカクテルそしてコーヒー。
我ながらなんとも鼻持ちならないやつだ。
哀れな私のために、一応の擁護を試みると、学生時代にアルバイトをしていたのが、フランス料理を提供するビストロであり、そこでの接客のために勉強していたので、フランス関連の本が増えたという経緯がある。
私は、料理・製菓の本が大好きだ。
単純に料理することや食べることが好きなのが一つの理由。
見た目の良さがもう一つの理由。
料理の本は、グラフィカルなものが多く、調理工程や完成品の写真が載っていることがしばしばだ。
そういった写真たちを眺めているだけでも、幸せな気持ちになってくる。
料理で本当に重要なのは、味や栄養であると、私は確かに信じているが、しかし、料理の見た目というものが、料理の魅力の一旦を担う重要な要素であることもまた、否定できない事実だと信じている。
料理の見た目は重要だ。
見た目一つで、食べたくなる。
見た目一つで、作りたくなる。
見た目一つで、行きたくなる。
見た目一つで、生きたくなる。
↑これ、なんか西尾維新っぽくないですか?そんなことない?最近戯言シリーズ読み返したせいで、西尾維新づいているな。ちょっと自重しよう。
私は外食をするときに、公式サイトや某ログ、インスタグラムの投稿などで、料理の写真を確認して、実際に行くかどうかを決める。多くの人もそうだろう。
学生時代のバイト先を決める際も、ネットで検索して、見た目が美味しそうなところを選んで働きに行った。
実際、視覚情報による、嗅覚・味覚への影響はばかにできない。
テレビの格付けチェックで目隠しをして食べるのも然り、ワインテイスティングの場で銘柄や見た目を隠して行うのも然り、視覚情報が味に影響することは語るに及ばず。
なんだが話がそれにそれた気がするが、そんなわけで、おいしそうな料理を見るのが好きなせいで、本棚の半分近くを料理関連の本で埋めることとなってしまった。
大型本が多いし、値段もそれなりにするから、ちょっとだけ金のかかる趣味といったところだろうか。
ワインの本は、勉強のために買ったものも少なくない。
ソムリエ試験の勉強を、真面目に取り組んでいたとはあまり言えないが、それでもいくつか参考書を買って勉強をした。
飲食に携わる者ではないので、継続的に勉強しているわけではなく、詰め込んだ知識の大半はもはや忘却の彼方だが、ざっくりした知識はたまに役立つときもある。なによりソムリエという肩書きは、自己紹介の時に役に立つ。(それ以外で役に立ったことが私にはないが)
ワインに詳しくない人からすると、おそらくワインというものは、難解でとっつきにくいイメージであると思う。
自身がそうであったし、ワインソムリエですと自己紹介した時の周りの反応からしても、あながちズレた感覚ではないと思う。
なんにでもいえることではあるが、ちょっと勉強して知識を得ると、途端に面白くなることがある。
ワインもそういうものなのだと考えている。
ボトルに書いてあることがわかる、香りや味の中にブドウ品種の特徴をかすかに感じられる、そういうことがあるたびに、ちょっと勉強しといてよかったな、と感じる。
まあ、ワインの話はまたどこかですることにして、本の話に戻るとしよう。
ちなみに、コーヒーに狂っていた時期もあるので、コーヒー関連の本もいくつかある。
きっかけはこれもアルバイトで、カプチーノを作れるようになりたかったために勉強し始めて、本だけでなく、ベルマンやFlairといった機器を買い漁るに至ったのだが、それはまた別の話じゃ。
シャーロックホームズ
私はシャーロックホームズシリーズを全巻持っている。
まあまあ、熱烈なシャーロキアンの皆々様方、そう目ごじら、じゃなくて、目くじら立てないで。
このあたりの話はかなりデリケートで、全巻と言い切るのは簡単ではない。
シャーロキアンの皆々様方の逆鱗に触れるのは、私の望むところではないので、ここで私が言う「全巻」という定義を明確にしておく。あくまで私の中の定義であり、広く世間一般の定義ではないということを再度明言させていただく。
私は俗に「正典」と呼ばれる長編4冊・短編集5冊を保有している。
長短あるため、単純な話数に意味はないかもしれないが、すべて合わせて60話程度。
詳細についてはシャーロックホームズシリーズのWikipediaを参照していただきたい。
たびたび狂っていてまことにお恥ずかしい限りだが、一時期、シャーロックホームズに狂っていたことがあり、とりつかれたように読んでいた。
その時に得た知見なのだが、シャーロックホームズシリーズを短期間に大量に摂取すると、ゲシュタルト崩壊では決してないが、頭の中が混乱してくる感覚に陥る。
というのも、誤解を恐れずに、きわめて端的に言ってしまえば、シャーロックホームズという物語は、何らかの事件があり、それをホームズが超人的な洞察力と推理力によって解決する、というものが大半だ。
そのため、話の枠組みが類似したものが多い。
それらの物語を短期間に大量に読んでいると、複数の話が頭の中で混濁して、訳が分からなくなってくる。
これはあくまで一つの感想でしかなく、私はシャーロックホームズシリーズが好きであり、決して批判する意図はないということを強調させていただきたい。
もし、同じような体験をした方がおられるのなら、ぜひ教えていただきたい。
長いお別れ
- レイモンドチャンドラー著 長いお別れ
- レイモンドチャンドラー著 ロンググッドバイ
この二冊が、私の本棚には隣り合って存在している。
名前からお分かりかもしれないが、この二冊は同一の物語である。
どちらも、レイモンドチャンドラーのハードボイルド小説「The Long Goodbye」を日本語訳したものであり、長いお別れの訳者は清水俊二、ロンググッドバイの訳者は村上春樹である。
この本はカクテルが好きな人には有名で、「ギムレットには早すぎる」という一文を耳にしたことがある人は多いのではないだろうか。
かくいう私も、ギムレットというカクテルの存在と同時にこの言葉を知り、この言葉の意味を理解したいと考え本を読むに至った。
しかも、深く理解したいと考えて、異なる訳者の二冊を読むという徹底ぶりだ。
徹底するなら原著を読めとおっしゃる方がいるかもしれないが、このお言葉には謹んで、うるせえと言わせていただく。いずれ読むよ、いずれさ。
この言葉について説明するには、物語の核心に迫る必要があるため、ここでの言及は差し控えさせていただく。
気になった方はぜひ読んでみてね。村上春樹さんの訳のほうが現代的(実際、翻訳された年代が全然違う)なので、おそらく読みやすいと思う。
お別れ
本棚がいっぱいになったことをきっかけに、本棚を整理して、思いついたことをつらつら書いてきたが、ここらで終わりにしようと思う。
ほんとはもっと色々な本があるし、持っていることを人に知られるとちょっとこはずかしい松本穂香の写真集とかもあるけれど、これくらいにしとこう。(写真集ってなんか恥ずかしいよね。なんなんだろうね、これ。)
せっかく長いお別れの話が出てきたので、本書の一文を引用して締めさせていただく。
こういうのやりたかったんだよね。
「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」